私の旅の遍歴の中で、一度だけテヘランへ向かおうとしたことがありました。もう随分昔で20代の頃の話です。その時は1ヶ月ほど時間ができて、真冬の日本からいったん赤道直下のクアラルンプールに飛びました。バンコクなんかにも寄って、東南アジアにしばらく滞在した後に、そこからイスタンブールに飛びました。当時初めてのイスタンブールだったのですが、正直なところ心躍るような体験はなかったです。真冬ということで街は寒々しかったし、何より自分自身も将来への不安で心が寒々しかった。さらに赤道直下の都市からの移動ですっかり風邪を引いてしまっていて体調が優れませんでした。これはすぐさまイスタンブールを離れなければと咄嗟に思いました。西に進路をとり、馴染み深い東欧へ向かおうかと考えました。プラハやブダペストは何度も訪れていましたので、慣れた土地に行けば体力も回復できるだろうと思ったのです。そんなことで、イスタンブールのヨーロピアンサイドで東欧へ向かう長距離バスを探すことにしました。ところがイスタンブールのバスターミナルは巨大で、路線の数もバス会社の数も凄まじく本当にわけがわからない。どうしたものかと途方に暮れていると、ふとテヘラン行きのバス会社が目に止まりました。そうか、トルコの隣はイランではないか。ならば東へと進路をとりテヘランへ向かうのも悪くないなと思いました。沢木耕太郎の深夜特急をバスで逆に向かうのは面白そうだと思いました。早速バス会社に話を聞いてみると、どうも今は冬場だから国境付近はクローズしているとのこと。スマホもない時代だし、情報のエビデンスなどとれない時代です。素直にバス会社の言うことを信じるしかありませんでした。そして結局はブルガリアを経由してルーマニアに向かうバスチケットを買うことになったのです。やはり西に向かうのが正解なのだとその時は納得しました。しかし、それが吉とはなりませんでした。プラハに着いた時には風邪はさらに悪化し、美しいはずのプラハの街までが灰色に見える始末でした。東欧にも嫌われた私はトボトボと東へと戻る決意をします。イスタンブールへの帰路は長く2日間にもおよぶ寝台列車の旅でした。そんな過酷な列車での移動にもかかわらず、何故かイスタンブールが近づくにつれ体調は回復してきました。そうなると車窓から眺めるイスタンブールの町並みは、当初の寒々しさは感じなくなり、なんだかとても愛おしいものに見えてきました。自分自身のコンディションがあらゆる場所を灰色に染めていただけだったのです。東だろうが西だろうが場所は関係ありません。そのことを感受し学び取るための旅でした。いやはやとんでもない距離を移動してしまいました。それから日本に帰国して、また仕事に追われる毎日となりました。今でも時折ふと思うのは、あの時なぜテヘランを目指さなかったのか?。旅にはいくつもの後悔があるけど、とりわけイランへ向かわなかったのは今でも大きな後悔となっています。行こうと思えばたぶん行けたのです。世界というのはいつクローズしてしまうかわかりません。コロナ禍の時は痛いほどそれを感じました。いつかいけるだろうと思わずに、いきたい時には迷わず行かなければなりません。今回の戦争で少なくとも数年間はイランには行けなくなります。「東には行けないんだよ。あなたは西を目指すしかない」。イスタンブールでのあの男の言葉は、まるで現代における東西分断を示唆するような言葉に聞こえてきます。私たちはどちらの側にもたてるはずです。西へ東へと、誰の顔色を気にする必要もなく自由にボーダーを超えていけるはずです。どちらかを支持し、どちらかを非難するのではなくて、旅人のように政治もクロスオーバーして欲しいものです。
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by satakearchi
| 2026-03-23 07:15
| 旅2004.01 東南アジア・トルコ







