一尺五寸

資格学校で建築士講座の非常勤講師を勤めさせていただいて、今年度も無事に終わりました。本試験を見てみると、今年は階段について細かい要求がありました。

蹴上:180mm以下
踏面:225mm以上

建築基準法では、
有効幅:750mm以上
蹴上:230mm以下
踏面:150mm以上

蹴上げとは段の高さ、踏面とは段板の奥行きを現します。

建築家、吉村順三は、蹴上げと踏面を足して455がもっとも登りやすい寸法だと言っていました。つまり一尺五寸です。たとえば、下記のような関係。僕はこのバランスが住宅のベストだと考えています。実際に設計して、登ってみて、非常に登りやすかったです。

蹴上:225mm
踏面:230mm

今回の試験のように、180mmとか170mmの蹴上とするならば、踏面は275mmとか、285mmは欲しいわけです。そんな大きな踏面をとると、納まらなくなってしまうので、試験的には踏面は230mmと小さめになってしまいます。多少、登りづらい。

これまでの試験では、階高2900の13段で納められたので、蹴上223mm、踏面230mmの一坪サイズの回り階段が定番でした。これは、吉村順三の言う455のバランスともピッタリあってるし、登りやすいわけです。試験の図面も悪くないし、適当じゃない!。

910モジュールという、日本伝統の軸組み。そこにはめこんだ階段。現代人のライフスタイルが変化しても伝統的なヒューマンスケールは無視できないと思います。急勾配なら、踏面を小さく、緩い勾配なら踏面を大きくする。そこが大事なんですね。

今回の試験、ヒューマンスケールなんてどうでもいいんですかね?
今回の要求でやるとバランスがくずれる。個人的には従来のほうが住宅の階段としては機能すると思う。

試験で描く図面は、古臭い建築で現代にはそぐわないんだけど、建築の基礎と伝統が凝縮しているので、これからの仕事にだって役立つはずです。CADの時代だけど、手描きの試験。それだって役立ちます。手を動かして考えるのが設計の基本。すぐにパソコンに向かってもアイデアなんてでてきません。フィジカルな行為で思考は働きます。

なにはともあれ、すべての受験生、おつかれさまですね。建築士って、資格を得てみると、なんてことのない自分の一部になってしまい大して誇らしいものでもないんだけど、得るまでは喉から手がでるほど欲します。生きてる限り、そういう喉の渇きみたいなものは忘れたくないものです。
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# by satakearchi | 2017-09-12 13:37 | 日々のこと、暮らしのこと

ひさびさの一人暮らし

雨続きの8月でしたが、ここ最近は東京の夏らしい蒸し暑さが続いてます。奥さんは北海道に子供たちを連れて帰省中。僕は久々の一人暮らし。久々とはどれくらい久々なんだろうか?。記憶にないくらい遠い昔な気がする。それくらいずーっと一緒にいたんだなあ。一昨年イスラエルとヨルダンを一人旅した時は、もちろん離れていたけど、それは旅の話で、家に一人でいる感覚って新鮮です。

自分だけのために食事を作って、掃除して洗濯して、育児もしなくていい。自分のことだけ考えて生活するのってこんなに楽だったんだなあと感じます。誰にも邪魔されずに静かに眠れる。ミニマムで自由な時間。普段、家の中がいかにカオス化していたのか、実感します。

旅で例えて言うならば、行く先々で人に絡まれ、もまれるインドから、ネパールに入った瞬間のような感じ。混沌からの脱出。でも僕は、そんなバックパッカーにとって天国であるはずのネパールでは常に体調が悪かった。ずっとお腹の調子が悪かった。混沌から脱出したいがために訪れたのに、うんざりするようなインドに早く戻りたいとさえ思ってしまう。

今まさにそんな感じ。体調こそ良いけれど、味気ない生活です。自分の思い通りにならない混沌とした生活に戻りたい。家族を支えて共に生きるのは、喧騒と混沌の連続です。そこにはやっぱり生きる愉しさがあるんだなあ。人生で必要なことはすべてインドに学んだ気がします。
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# by satakearchi | 2017-08-24 20:58 | 日々のこと、暮らしのこと

手触りの良いもの

夏になるとTシャツが重宝しますが、20年前に買ったTシャツをいまだに着ています。コムデギャルソンのものです。奇抜で革新的なブランドですが、持っているTシャツは無地のもので着まわしの良い一品です。で、これが信じられないほど、着ていて気持ちがいいんです。とにかく生地が柔らかい。タグを見ると、普通に綿100%と書いているだけ。奥さんに、なんで同じ綿でも柔らかいものと、そうでないものがあるの?と尋ねると、織り方なんじゃないかと教えてくれました。

偶然、ユーチューブで昔のギャルソンを密着したドキュメンタリー番組を見ました。20年位前に放送されたやつ。ちょうどそのTシャツを買ったころだなあと。その中で、川久保玲が言っていた言葉で納得しました。ギャルソンは服を作るときに、生地から作るのだということ。そして一度使った生地は二度と使わないということ。さらに生地はすべて国産。全国の綿屋職人が機械でつむいでいる。残念ながら年々職人が減ってきているということ、(20年前がそうなんだから、今はなおさらそうだろう)、織機が最新のものに変わってきてしまっているということ。最新の機械は、旧式の5倍のスピードで織ることができる。しかし、手触りや独特の柔らかさがでないとのこと。

普段、普通に着ている服は、輸入物の生地がほとんどだと思う。だからギャルソンの生地がこんなにも柔らかく感じるんだと、20年経って初めて知りました。革新的なデザインも素晴らしいけれど、こうした本質的で妥協を許さない物づくりの姿勢が一流なんだなあと実感しました。

値段も高かった。20歳の若造がお店に入って、高くてどれも買えなくて、Tシャツなら何とか買えるだろうと思って買ったのでした。一万円くらいしました。なんでTシャツに一万円もだしてしまったんだろうと、散々後悔しました。その頃は当然、20年も着られるなんて思いもよらないわけなので。一流のものは高いか安いか?。ランニングコストでいったら激安なわけです。

住宅なんてまさにそうだろう。
大きなお金をかければ、何世代も住み継ぐことができる。ファストファッションのように、ローコストな家を買うほど、高い買い物はないと思います。

手触りの良い洋服に触れるような感覚。結構前から自分自身の設計の仕事で意識していることです。建築は目で見える物質を造るのと同時に、見えない感覚を構築する行為だと思っています。言葉にすることが難しいけど、着心地の良い家を造りたいと言うとわかりやすい気がします。
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# by satakearchi | 2017-07-15 18:01 | 日々のこと、暮らしのこと

もはや東京では梅雨という時期に雨が降らないんじゃないか?というくらい猛暑が続いています。そんな今日この頃、世田谷から後楽園のアトリエ(CORB)まで、毎日のように電車で通っていて、定期も持っているし、たまには下北沢で降りてみようかなと思いました。北口、西口は古着屋さんとか、個人経営のカフェが多くて、結構好きです。車も通れないほど細い道が入り組んでいて、両サイドにびっしりと店舗が連なる。昔の代官山みたいな雰囲気が心地いい。古着屋さんをハシゴしていると、突然スコールのような雨が降ってきました。お店の軒下で雨宿りする。通り雨だろうな、としばし待つ。蒸し暑い夕暮れ時に、それをクールダウンさせるような激しい雨は、東南アジアを旅している時のことを思い出しました。バンコクのカオサンロードで、バリ島のウブドで、ホーチミンの街角で。雨は旅人の足を休めてくれるきっかけを作ってくれます。立ち止まり眺める風景は美しく、喧騒や人の営みも楽しめる。こんな忙しい東京でも、そんな気分になれるとは夢にも思いませんでした。雨の日だってリフレッシュできる。旅の記憶は何かと役にたちます。
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# by satakearchi | 2017-07-13 20:15 | 日々のこと、暮らしのこと

最近は夏野菜が出始めてきて、週末に子供達に作ってあげるお昼ご飯のレパートリーが増えて嬉しいです。奥歯が生えてきていないので、だいたいスープを作って、全粒粉のパンを浸して食べさせるのが定番です。(インスタグラムに載せてます)。歯が完全に生えたら、自由に何でも作ってあげられるので、もっと楽しいだろうな。お弁当も作ってあげたい。

僕は学生のころ、ありとあらゆる飲食店でバイトしていて、料理の世界に片足をつっこんで生きていました。なので、だいたいは何でも作れるんですけど、離乳食は作ったことがなかったわけです。それで、ここ最近ずっとそうした離乳食を作りつづけていて前にも書いた通り自分自身の食生活について随分考え方が変わりました。無垢な子供を見てると、記憶にない自身の原点と重なってきて、もっと健康的で素の食材を食べたいなあと感じるわけです。女性はずっとそうなんでしょうね。

建築も、素材を加工すればするほど味気ないものになります。コストや生産性、耐久性を上げるために、加工し化学製品化され、プラスチックみたいなピカピカのものになる。それらを組み合わせて造る建築は装飾的で雰囲気的。それはそれで悪くないですが、どこか不健康な気がします。母性がないというか。

奥さんが言っていたけど、女性というのは生まれた時からすでに母性を持ち合わせている母親なのだと。そういえば姪っ子が家の息子たちを、母のようにまあ可愛がってくれてました。それにひきかえ男性というのは、都合よく父親の性分なんてものは備えられてはいない。だから努力しないとなれないのだとか。我が子が産まれました、さあ今日から父親ですとはならないわけです。はたから見ると、それらしくは見えるけど、実際は実感がわかないままズルズルと子育てしてるような気がします。ハリボテから本質的なものに変わる瞬間ってある気がします。どこでスイッチが入ったかわかりませんが、僕は気が付いたら、親として生きていました。
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# by satakearchi | 2017-06-12 20:54 | 日々のこと、暮らしのこと